誰かの喜ぶ顔が見たいために
誰かがよいことだと言ったから
世間でよいことだとされているから
今、はやっているものだから
という理由で、なにかを決めると後で後悔しませんか?
私は、他の人の考えていることがわかると、思っていた時期がありました。
すると、「相手の人のほっとする顔を見たい」ために、
自分の心を無視して、相手の人の望むことをしてしまっていました。
それが、当たり前になりすぎていて、
どこがおかしいかすら、わからなくなっていました。
本当の私の意思や心は、奥に押し込められていて、存在を忘れられていました。
そのまま、ニセモノの人生が進んでいく可能性もありました。
自分が生まれる前にどんな目標を立ててきたかを、思い出すどころではありません。
私の内側に押し込められた私は、
ある日、反旗(はんき)をひるがえします。
私が困ることを、起こすようになりました。
階段から落ちたことは、そのひとつです。
そのあと思考と行動のパターンを変えるために、
長い間の心と体のリハビリが、必要でした。
自分の心の底からの選択をできたなら、それは、魂の喜びです。
自分が選びとって、実行したことを、積み重ねることで、
本当の自分に近づいていきます。
霊的進化のためには、
自分の深い部分からの選択をおこない、
その結果を魂に刻(きざ)んでいくことが大切です。